04 Regeneration (セミたちへ)
<1>
雨の水曜、客足は遅い。
ここはCafe&Bar・ROOTDOWN。
メインメニューはJAZZ。
マスターはすべてのグラスを磨き終え、ガラスケースに戻した。
それからソニー・ロリンズの「A Night At The Village Vanguard」
に針を落とし、カウンターを出た。
そして客になった。
プレーの迫力もさることながら、拍手や、人の声までが、
まるでここでライブが行われているようにリアルに聞こえる。
―やはりこれがレコードだ。原盤でしか味わえない魅力だ。
たった一人のためのライブは最高の盛り上がりを見せ幕を閉じた
しばらくボンヤリと目の前の壁を見つめていたマスターは、
そこにかけられた写真の一枚が右に少し傾いていることに気づき、立ち上がった。
―たまにはこういう日があってもいい。
と思いながら、写真を直し、ガラス扉を開け外に出た。
小雨になった街にセミが鳴いていた。
―短い夏に、雨を見ないで死んで行くセミもいるんだろうな?
「雨を見たかい?」突然その時CCRの曲が浮かんだ。
あの雨はベトナムのナパーム弾のことらしいが・・・・
<2>
店に戻ろうとしたその時、こちらに向かって歩いてくる、傘に見え隠れする顔に気づいた。
この店をデザインしてくれた塚原さんだ。
以前からあった正面の神棚を残すようにとアドバイスをくれたのも彼だった。
「ご無沙汰してます、今日はどちらへ」一応、通りすがりの挨拶?をした。
「もちろん君の店だよ!客引きと間違われるぞ、そんなところに立っていると」
と言いながら塚原はやさしく笑った。
「ありがとうございます、さあどうぞ」と言いながらマスターはガラス扉を開けた。
「とりあえずビールをもらおうか」
いつもの席に座り、厚手のお絞りで顔を拭きながら塚原は言った。
マスターは最初の一杯だけビールを注ぐことにしている。
注ぎ終えると言った
「セミの寿命って短いですよね、1週間くらいとか?」
何故か、セミにこだわっていた。
「うん、一般的はそう言われているが、実は一ヶ月近くは生きるんだよ」
「そうなんですか?」
と返しながら、マスターは
―それならセミはみんな雨を見れるんだ、と思わぬところに納得した。
塚原は続けた。
「『深海魚は海を知らない』と言う初歩の哲学の本があるんだが、
これによると深海魚はその一生を海の中だけで過ごすから、他と比べようがない。
つまりは自分がどこにいるのか認識できなし、海と言う観念もないというわけだ。
それに比べてセミは地中での幼虫の時期が何年もあって、それから地上に出る。
だから地中の記憶があれば、空と言うものを認識できるはずだ」
「少なくとも、今までと違うここ、と言う認識が」
「確かに、ここ(店)に篭っていたら、外が晴れてるのか、
雨が降っているのか分からないですからね」
マスターの"喩"はちょっと違うけど、限りなく近い、と塚原は思った。
「だから、深海魚に比べたらセミは地中ではないここ(空)を飛び回れて
幸せなのかも知れないけれど、それにしても一ヶ月は短い」
塚原は自分自身に言い聞かせるように言葉を吐いた。
「その点、人間は幸せですかね?ますます寿命は延びているし」
マスターのこの言葉に塚原が微妙な反応を示した。
マスターはそれを見逃さなかった。
そして、話題を変えた
<3>
「人類にとって最後まで残るものは、
音楽とセックスだと言われていますが塚原さん、どう思います?」
「うん、心と身体の支えという意味においては言い当てているのかも知れないね」
「私はセックスはもういいが、音楽、特にJAZZとお酒に出会えた人生は悪くなかったと思っているよ」
そう話す塚原の言葉にはやはりどこか力がなかった。
そんな過去形?で話す塚原を見て、マスターは塚原がどこか病んでいることに気づいた。
―もしかしたら、そう長くないのかも知れない。
「塚原さん、いつものかけますか?」
マスターは明るく言い、塚原の顔にやっと笑顔が戻った。
二人のお気に入り、マイルス・デイビスの「クールの誕生」
―皮肉なものだ、誕生だなんて。
セミたちへのレクイエムだ。
またどこかで生まれ変わること信じて。
マイルス、今日は思いっきり吹いてくれ!
*参考文献 「深海魚は海を知らない」三好由紀彦著