11 Destiny (宿命)

<1>
ふたつの電話を待っていた。
出来れば受けたくない電話と、声だけでも聞きたい電話と。
便利の裏側にはいつも同じだけの苦痛が張り付いている。
どこにいても連絡が取れるということは、嫌なことも同じように追いかけてくるのだ。
鳴らない携帯に苛立ちと安堵を感じながら・・・・
しかし、待っていた。
ここはCafe&Bar・ROOTDOWN
メインメニューはJAZZ          

2杯目のハイボールを作りながら、めったに話しかけないマスターが声をかけた。
「むずかしい顔をしてますよ」
自分でも気がつかないうちに、顔に出ていたらしい。
そういえばいつもの酒さえ、ソーダ水を飲んでいるようだ。
セロニアス・モンクの「Brilliant Corners」が流れていた。
待つ場所?にここを選んだ理由を忘れていた。
―忘れた頃にやってくるのが電話と不幸だ。
そんな言い訳を自分にして、気分を変えるためしばらくはモンクのピアノに身を預けた。
<2>
11のスツールは7つが埋まっていた。
8つ目のスツール埋めたのは袈裟こそ着ていないが明らかに僧侶だった。
「とりあえずビールを」と言うと、境界のはっきりしない顔と頭の汗を、
厚いタオル地のおしぼりで豪快に拭いた。
そして出されてビールを一気に飲み干し、「ふっー」と息を吐いた。
そして言った
「茨城から来ました。坊主の派遣です」
違和感を前からも横からも感じていた僧侶は誰にともなく自分から自己紹介をした。
菩提寺を持たない都会の人間のために、お布施だけでは成り立たない地方の住職を、
葬儀や法事のために派遣する会社と契約したのだと言う。
"HAKEN"と言う言葉が英語の辞書に載る日も近い。
正面の神棚に神、カウンターに仏。
そこに流れているのは雅楽でも般若心経でもなく、JAZZだが。

<3>
説法になれているのか僧侶の話は止まらなかった。
学生時代にJAZZのサークルに入っていて、自らもベースを弾いていたと言う。
今でも趣味で時々弾いているというが、本堂に響くベースに仏は何を思うだろう。
セロニアス・モンクが終わるのを待って僧侶は、
レイ・ブラウン「Something For Lester」をリクエストした。
レイ・ブラウンの数少ないリーダーアルバムだ。
3曲目が終わる頃、いきなり電話がなった。
そう、電話はいつもいきなり鳴るのだ。
マナーモードに切り替えてなかったことを悔いたが、しかし私ではなかった。
着信音が同じだったのはその僧侶だった。
あわてて電話を開き、「失礼」と言って店を出た。
しばらく忘れていた私の電話は、しかし忘れた頃にも鳴らなかった。
戻ってきた僧侶は明日、読経の応援を頼まれたと独り言のように言った。
しばらくROOTDOWNにJAZZの読経がアルバム一枚分流れた。
やがて、私の携帯が振るえた。
モニターの着信相手は受けたくない方の相手だった。
私は黙って店を出て、面倒な話を20分も続け、五分五分のところでけりをつけた。
たった20分の疲れは、待っていた2時間よりも重かった。
その日、声だけでも聞きたかった相手からの電話はとうとうなかった。


通夜は質素に、そしてしめやかに行われていた。
正面に飾られた写真を見ながら、弔問客がささやいている。
「交通事故だったんですってね、お気の毒に」
「まだお子さん、小学生でしょう」
昨夜、ジャズバーで、声だけも聞きたいと待っていた男の相手が、
目の前に眠っていることを僧侶は知らない。