24 TRANSISTOR RAIDIO(無口な箱)

<1>

引き出しを開けようとして、何かが引っ掛かった。

上の引き出しを取り出し、その原因を引っ張りだした。

手のひらに余るくらい小さな、トランジスタラジオだった。

そういえば昔、偶然通りかかったフリマで、その色が気に入り買ったものだ。

その時に一度スイッチを入れただけのそのラジオは、ターコイズブルーの台湾製だ。

まだ生きているのか?

スイッチとヴォリュームが一緒になっている。そのダイアルを回すとカチッといった瞬間、いきなり雑音が流れ出した。高音も低音も再生できないおもちゃのスピーカーは、1kHz辺りを狙っているから小さな音でもそれなりにうるさい。ロッドアンテナを伸ばし、改めてチューニングをして、何とか594kHz辺りに合わせると、やっと人間の声が聞こえて来た。

コロンビアのバスは、夜中になると音楽を流し、車内で酒を飲んでいる人間も多く、まさに走るバーだと現地からリポートしていた。

いきなり地球の裏側から飛んでくるニュース。

普段、ラジオを聴く習慣のないマスターにとって、こんなことがとても新鮮だ。

 走るジャズバー、ROOTDOWN号

メインメニューはJAZZと夜の東京

マスターの頭をそんなキャッチコピーがよぎった。

車はリムジン、運転席とはバックカウンターで仕切り、小さな神棚とスピーカーを組み込む。酒は相変わらずカウンターに並べ、照明は最小限にして、ハーフミラーの窓から街の灯りを取り入れる。手術も可能なくらいのエアコンを装備、なおかつ完全防音。さてターンテーブルはと考えた途端、膨らんでいたイメージが歪み始め、一気に現実へと引き戻された。車の振動で針が飛ぶ。小石ひとつが致命的だ。そんな装置が可能だろうか。それよりリムジンはいくらくらいするものなのだろう。改装費用は。営業許可は何処の保健所に出せばいいのか。客はどこで待っていればいいのだろう。

何故日本に走るバーがないのか、マスターはその理由を数分で学び、軽く頭を振って、再びラジオに戻った。

FENにチューニングを合わせると、60年代のポップスが流れ出した。

そのキッチュな音はまさに、このラジオで聞いてくれ!と言わんばかりに、似合いすぎていた。

そういえば、どこで再生するか、何で再生するかを考えてCDは作られていると聞いたことがある。そしてそのほとんどは、CDラジカセや、カーステレオでの再生を狙ってミキシングされているらしい。

友人がジャズ用のセットで都はるみを聞いたら、違う曲を聴いているようだったと言っていたが、あながち大げさではないのかも知れない。本来、CDラジカセや、カーステレオではカットされている音域まで再生してしまうからだろう。

神棚の隣にあるオリジナルのスピーカーは、その大きさだけでもラジオの数十倍はある。

原盤を忠実に再現する能力は、ラジオの数百倍だ。

しかし、こんな小さなラジオから流れる音に、マスターは妙な懐かしさを覚え、グラスを磨きながらしばらく耳を傾けていた。

ここはCafé&BarROOTDOWN

メインメニューはJAZZ

音楽は、何で聞くかではなく、何処で聞くか、かもしれない。

 

<2>

「マスター、珍しいね?こんなものが置いてあるなんて」

入って来るなり、カウンターの隅のラジオを目ざとく見つけた山下が言った。

そう言えばさっきまで片手間に聞いていたのだが、いつの間にかただのブルーの箱に戻っていたことに気がつかなかった。

電池が切れたのだ。

「でも懐かしいね、音楽なんて昔はラジオでしか聞けなかったからね」

山下は、あちこち叩いたり回したりしながら、音を出そうとしている。

シカゴから始まったスイング・ジャズはラジオによってアメリカ全土に広がった、とマスターの関心が再びラジオに移った。

マスターも山下も共に、パーソナリティの軽快なおしゃべりに乗せられて、深夜放送を聴いていた世代だ。

ながら族と呼ばれ、ラジオを聴きながら受験勉強をしたものだ。

いつごろからだろう、ラジオを聴かなくなったのは・・・。

マスターも山下も同じ思いに駆られていた。

ラジオは今や、早起き老人か、競馬ファン、長距離ドライバーに独占されている。

それでもラジオ局がつぶれないのは、それなりのコアなリスナーがいるからなのだろう。

ビジュアルに助けられているテレビに比べれば、ラジオは音だけで情報を伝えなければならない。

そういう意味では音楽こそ、ラジオのためのものかも知れない。

 

<3>

いきなり店が揺れた。

はじかれたようにマスターは、すばやくガラスケースの後ろに回り、レコードの針を戻した。

最初は縦に、その後横に。

30秒は続いただろう。

その数倍の時間が流れた感じがする。

恐怖と苦痛の時間はいつだって長い。

壁の写真が傾き、グラスの液体が異様に揺れ、乱反射している。

ROOTDOWNにテレビはない。

マスターは急いで引き出しを開け、その隅に単4の電池を2本見つけた。

捨て忘れた電池だが、ラジオならこれで充分だ。

スイッチを入れるとFENのままだった。イライラしながら594kHzに合わせると、いきなり地震のニュースが飛び込んできた。

「先ほど9時20分頃、関東地方に地震がありました。津波の心配はありません。各地の震度・・・・・」

つい数分前まで、ここは50年代のジャズで満たされた異空間だった。

それが地震によって、いきなり現実と世間が小さなラジオから飛び込んできた。

それまで音に包まれていた誰もが、今はその小さな音の箱を取り囲んでいる。

揺れがおさまるのを待って、数人が携帯を片手に店を飛び出した。

 

どうやら今回も大事に至らずに済んだ。

それにしても誰もが今度は関東だと思っている。

しかしのど元過ぎればなんとやらで、たちまちいつものROOTDOWNに戻った。

「マスター、第二部の開始。トップバッターはウィントン・マルサリス。その名も『ウイントン・マルサリスの肖像』」山下がおどけていった。

軽快なリズムと、マルサリスの知的なトランペットが流れ出した。

ラジオは再び無口な箱に戻った。

 

<4>

今や音楽は持ち歩ける時代になった。

ラジオから音楽を奪ったものたちは数え切れない。

ここにある数千枚のレコードもそのひとつだ。

聴きたい曲が聴きたい時に聞ける、そんな当たり前の幸せをラジオが思い出させてくれたと、マスターはその無口な箱を見て思った。