26 COME SEPTEMBER(9月になれば)

<1>

空が高く、陽射しは強い。

木陰に入ると心地よい風が頬をなでる。

いつの間に挨拶もせずに去って行った夏の、次の季節。

こんな季節が一年中続けばいいとマスターは思った。

朝には遅く昼には早い軽い食事をした後、風に誘われて散歩に出た。

半袖か長袖か迷った末、短すぎた夏の余韻を身につけた。

大通りから、見知らぬ路地に入った瞬間、景色が突然変わり、そこには時代から取り残されたような風景があった。

路地には様々な鉢植えが置かれ、バケツが転がり、三輪車があった。

朽ちかけた階段は、もはや登る事は不可能で、オブジェにしてはみすぼらしかった。

突然道幅が広がったと思ったらその真ん中に井戸があった。

毒々しい緑に塗られたその手押しポンプにはペンキ塗りたての張り紙がしてあった。

まだ使われているらしい。

しばらく歩くと小さな公園があり、滑り台と砂場、ウサギやリスの形をしたスプリングが付いた遊具が3つ、他に木のベンチも3つあった。

ホームレスが寝れないようにと、不自然な肘掛がそのベンチを二分している。

1時を過ぎたにも関らず、ベンチは満席だった。

サラリーマン、ヘルメットを横に置いた作業員、それとOLが二人、それぞれのベンチで弁当を食べている。

買ったもの、作ってきたものそれぞれである。

この陽気に誘われてか、仕方無しにか、それはわからない。

いずれにせよ、一味違うだろうと思えた。

マスターは植栽の周りを囲んでいる鉄パイプに腰を下ろし、タバコに火をつけた。

作業員のベンチの肘掛の上では小さなラジオが鳴っている。

耳を澄ますと、ナット・キングコールの「ルート66」だ。

その道はすでに四半世紀も前に砂漠に埋もれてしまったが、歌は今も生きている。

このラジオのためにナット・キングコールは唄っている、そんな錯覚を起こさせるような古くて、キッチュな音だ。最後にシックス・ティ・シックスと言うリフに入るが、何度聞いてもやはりセックスにしか聞こえなかった。

マスターは確信した。

自分の耳のせいではない。ナット・キングコールにはなまりがあって、がうまく発音できなかったのだと。江戸っ子が東をしがしと言うように、アメリカにだって南部なまりがあるはずだ。

 

<2>

9月なれば・・・そんな映画があった。

地中海、若き実業家、ロールスロイス、豪華な別荘、なんて言うのは映画の中の話だが、わざわざ地球の反対側に行かなくても、この狭い日本でも充分にゆったりとした9月は満喫できる、とマスターは改めて思った。

せわしないのは穴熊だけで、すでに冬眠の準備に入っているらしいが、別に穴熊から便りがあったわけではない。

さっきのラジオがそんなことを言っていた。

大通りを避け、気が向くままに路地から路地を渡り歩き、気がつけば店の前の道に出ていた。

習性なのか?偶然のなのか。どうせ、あてのない散歩だ。

夜の街の生活がほとんどのマスターとって、昼の顔はまるで異郷に迷い込んだ不安と楽しみがあった。

改めてシャッターの下りた自分の店を見た。

自分でも通り過ぎてしまいそうな、そっけない店構えだ。

客の誰かに言われたそんなことを思い出し、思わず苦笑した。

でも、だからいいんだと、ひとり思っている。

通りすがりに入れる気安さは必要かも知れないが、ここを目指して来る客の気持ちを、より大事にしたい。

また戻ってきてくれて初めて、本当の客だ。

隠れ家にでも戻ってくるように、この扉を開けて欲しい。

そう、男の隠れ家は決して目立ってはいけないのだ。

同じ顔をして、いつも同じところにひっそりと佇んでいる。

それでいいではないか。

マスターは改めて自分のやり方で店を作っていこうと思った。

夜も昼も、ここを目指した人にだけ微笑むこだわりの店。

ここはCaféBarROOTDOWN

メインメニューはJAZZ

 

<3>

ふと気がつくと片手に紙切れを持ち、困ったような顔をした男がこちらに向かって歩いてくる。

この辺りは大通りから一本入っただけなのに、人通りが少ない。

やっと人間に会えたような顔でその男はマスターに近づいて来た

「すみません、ここに行きたいんですが?」

と言ってさっき見ていた紙切れを差し出した。

地図だった。

大雑把な地図で、もちろん私がさっき歩いてきたような道はそれには載ってない。

ほぼ中心に赤いが付いている。

地名はあっているが、良く見るとそれはこの辺の地図ではなかった。

実はこの地名は東京に二つある。

そしてその地図に書かれているのはここではなく、渋谷だった。

東京駅からタクシーに乗ったというその男は、地名を告げただけなので、近いほうのここに送り込まれてしまったと言うわけだ。

マスターはささやかなミステリーの謎解きをしてあげたが、男は礼を言うのとため息が出るのが一緒だった。

だいぶ探し回ったらしい。

これも何かの縁だ。マスターも少し疲れを覚えていた。

「ひと休みしていきますか?ここ私の店なので」

背中のシャッターを親指で指して言った。

男は驚いた顔でマスターを見た。

「コーヒーでも入れましょう。飲みながらもう少し詳しく話して差し上げますよ」

「そうでしたか。ありがとうございます。それじゃあお言葉に甘えさせていただきます」とホッとした顔で男は言った。

 

<4>

臨時開店したROOTDOWNには、ジャズもハイボールもなく、コーヒーの香りだけが立ち込め、30分後に再び店は閉じられた。

マスターの気まぐれに仙台から来たその男は、東京モンも捨てたものではないと思い、土産に持ってきた伊達の牛タンを一箱置いていった。

 

今夜もROOTDOWNは通常通り5時に開店します。

先着3名さまに、牛タン塩仕込のサービスをいたします。

皆様のお越しを心よりお待ちします。