34 WHEN YOU WISH UPON A STAR(よくわかんない球根たち)
<1>
「弱ったなあ。俺には40も50も願いはないよ」
そう言いながら山田が汗を拭きながら入って来た。
季節は秋。
山田は、夏を乗り切れたのが不思議なくらい1年中汗を拭いている。
人の着ぐるみを着た熊だ。
汗っかきの熊は、冬眠間近で体重もピークに達している。
人間だったら60%は水分だから、とっくにしなびてるはずだ。
やっぱり山田は熊だ。
スツールに腰を下ろしたが、まるでEP盤の上にLP盤を乗せたように、はみ出ている部分のほうが多い。
スツールはその重さに耐え切れず、遠のく記憶の片隅で、つい10分前を思い出していた
(やわらかくて、いい匂いだった・・・)、と。
ここはCafé&Bar・ROOTDOWN
メインメニューはJAZZ
人は椅子を選べても、椅子は人を選べない。
<2>
山田はオリオン座流星群に願い事をかけようとしている。誰もがこの時期、夢見る少年少女になるらしい。
山田は流れ星=願い事と言う単純な図式を、夢見る少年のこころと一緒に、その時の脳までも大事に持っている。50歳を過ぎた今でも。
明け方にはその数が40個から50個に達するというニュースを見て、困っているというわけだ。
そのすべてに願いをかけると言う発想がどこから出てくるのか?マスターは山田をやはり人間以外の生物として、まじまじと見た。
「俺はひとつでいいんだよ。一枚の宝くじを残して女房が神隠しに合う、それだけでいいんだよ。俺、早口ことば得意じゃあないし」
やはり、カン違いしているとマスターは思いながら、すかさず突っ込んだ。
「それって二つでしょう?宝くじと神隠しと」
「まあ、いいじゃない細かいことは。とりあえず、女房が忽然と消えた哀れな俺のもとに、天のお恵みで1億5千万円が転がりこむわけよ。前後賞も欲しいけど、そこまで欲張ると素も子も無くなっちゃうから1等だけでいいよ」
次は70年後と言われているオリオン座流星群と100年に一度と言われている今の不況。
山田でなくともオータムジャンボに賭けたくなる気持ちも分からないではない。
マスターも夢見る熊に付き合うことにした。
「山田さん、願い事はひとつだとしたら?」
「もちろん宝くじ!」
こういう時の山田の脳と口の連携は見事だ。
「それを持って俺が神隠しにあう」
続きがあった!やっぱり二つだ。
この人は何があっても生き抜いていけるだろうと、マスターはその思想のない明るさをうらやましく思った。
そしてガラスケースの向こうに廻りレコードに針を落とした。
今日は大サービスだ。
サリナ・ジョーンズの「星に願いを」
・・・誰だって心を込めて願うなら
Your dream comes true
さすがの山田もうっとりとした顔で聞いている。
「星に願いを」は元々ディズニー映画「ピノキオ」の主題歌だ。
そう言えばくまのプーさんは、はちみつが好きなんだっけ?と、目の前のアルコール漬けの着ぐるみをしげしげと眺めた。
「俺の顔になにかついてる?」
男に見つめられて、狼狽した山田は、当たり前すぎる反応をした。
「いいえ、何も。熊にもいろいろいるなあと思って」
「・・・・・・・」
<3>
いつしか7つのスツールは男たちで埋められ、やっといつもの感じになってきた頃、ガラス扉を開けて入ってきたのは3人の女たちだった。
最初は自分たちだけで
「オシャレ」とか「すごい音だねぇ」とささやきあっていた。
そのうち暗さになれ、正面に神棚に気づいた女のひとりが言った。
「ねぇねぇ、あれって神棚?」
「そう、ジャズの神様が祭ってあるんだ」
聞き耳を立てていた山田が、すかさずアドリブで応える。
「うっそー」と女たちが口をそろえて言う
「うそじゃあないよ。何でも願い事かなえてくれるありがたい神様なんだ」
そう言いながら山田はマスターにウインクした。
「うそですよ。リニューアルする前からここにあったんです」と、マスターは山田をにらみながら言った。
「おじさん!信じるとこだったじゃあない。私たち純情なんだから」
自分で言うか?とマスターも思いながら、
「願い事なら、オリオン座流星群にどうぞ。このおじさんは今夜、徹夜するらしいですよ」
「あっ!今夜か。でもあれって違うんじゃあないの?」と女
「えっ、違うの?」と、あわてる山田
「よくわかんないけど・・・」と女。
自分を信じるか、よくわかんないこの女を信じるか?
しょうがない、じゃんけんで決めるか、と山田はいきなりよくわかんない女にじゃんけんを申し込んだ。
「えっ!何で?」と、よくわからない女。
「何でもいいから、じゃんけんしてよ」と着ぐるみの熊
「分かったわよ、へんなおじさん」と言いながらよくわかんない女はパーを出した。
チョキを出した山田の読みが当たった。やっぱりパーだ。
「ありがとう、ありがとう」と言いながらどさくさにまぎれて彼女の手を握ろうとして、おもいっきり叩かれた。
しかし、改めて山田は、オリオン座流星群に願いかけようと心に誓った。
気持ちをあらたに、山田はよくわかんない女に聞いた。
「こういう店よく来るの?」
「ううん、今日で2回目」
「ジャズってよくわかんないし」その隣が言う。よくわかんない女Ⅱだ。
「えっ!じゃあ何で来るの?」
「なんとなくオシャレでカッコいいじゃあない。あした、会社で昨日はジャズバーに行ってなんていうのがさ」
「そんなモン」
「うん、そんなモン」
会話はこれ以上続かなかった。
入って来たとき球根みたいだった女たちも、琥珀色の水のおかげで花まで咲かせ始めた。
そのせいか、いつもの店が華やいで見え、よくわかんない、が飛び交っている。
そこそこに酔いが廻った女のひとりが言った。
「ところでおじさん。アドリブってなに?」
よくぞ聞いてくれた、と言う感じで酔いのまわった山田が話し始める。
「アドリブと言うのは、簡単に言うと楽器同士が会話していることなんだよ」
「へっー、会話してるんだ。やっぱり英語かな?」
化粧した小学生を前に、山田は先は長いと思いながらため息まじりに言った。
「たぶん?」
「だから私たちに分かんないんだ。」
「私が話せるのは日本語と、津軽弁だけだし」
また会話は終わってしまった。
そんな会話を黙って聞いてマスターは思った。
言葉で説明できるくらいなら、解説書で充分だ。
そして山田が言った楽器が会話していると言う説明は間違っていない。だから彼女たちも気づくべきなのだ。自分たちのおしゃべりが楽しいように、楽器同士の会話に耳を傾け、聞こえてくる何かに。
「帰ろうか」とひとりの女が言った。
他の二人も「うん」と言って席を立った。
<4>
ガラス扉を開けて出て行った女たちのひとりが、「あっ、流れ星だ!」と言った。
その言葉にビクっと身体を震わせた山田が駆け出した。
しかし流れた後だった。
「あーあ、間に合わなかった」と肩を落として戻って来た。
「大丈夫ですよ。まだまだ流れますよ、今日は大サービスの日だから」と、マスターは慰めにもならない言葉を吐いた。