37 SHUTTER(北風と太陽)
<1>
貼紙が変わっているのに気づき、足を止めた。
『11月1日、リニューアルオープンします』と、ある。
昨日までそこには、『しばらくお休みさせていただきます 北京食堂・店主』と書かれた、風雨にさらされ、壁と同化し、茶色くなった貼紙があったはずだ。
真新しいそれが貼られたのは2ヶ月以上も前だ。
旅行にでも行ったか?それにしてはしばらく、と言うのはあいまいな表現だ、とその時それを見たマスターは思った。しかし、1週間、10日と時が過ぎていくうちにそれは確信に変わった。
(またひとつ店が消えたのか?)
自分の中で勝手にピリオドを打ち、気にもならなくなっていた、そんな矢先だった。
(よかった、復活したらしい)
この2ヶ月以上の間、想像しがたい困難があっただろう。でも、何とか立ち直ったらしい。
自分のことのようにうれしくなり、そんな貼紙一枚に勇気をもらった気がした。
心なしか足取りも軽くなり、自分の店の前まで来ると、何と開店以来初めてと言う人だかりが出来ていた。
隣近所のおじさんやおばさん、おねえちゃんまでも総動員でなにやら騒いでいる。
主役の自分だけがはずされている舞台に、その人並みを掻き分け上がって行った。
ひと目で人だかりの理由が分かった。
シャッター全面に、死ね、とか金返せ、とか何処の国の文字だから分からないものまで混ざって、貼紙やらスプレーのいたずら書きがあった。
殺される理由も、金を借りた相手も、知らない国の人間に怨まれるわけも、まるっきり心当たりがない。
それにしても気分は悪いし、気味が悪い。
何があったんだと詰め寄るおじさんはましなほうで、影でこそこそと話してる奴らにいいわけをする気もなく、一瞬にしてそれを消すことにした。
何のことはない、シャッターを上げれば済むことだ。
そこにはいつもの殺風景な店が素顔を見せた。
ここはCafé&Bar・ROOTDOWN
メインメニューはJAZZ
もう少しセンスのいいいたずら書きなら、それでなくても殺風景な店の2枚目の看板にしてやったのに・・・。
<2>
2日後、同じようないたずらが真向かいのシャッターに、いっそう過激になって再現された。
そしてその店のとばっちりと言うか、間抜けな追い込み屋が店を間違えたことをその時知った。
確かに、その店もここ何日かシャッターを開けていなかった。
特に貼紙もなく、たたんだのか、つぶれたのか?いずれにせよ挨拶もなかった。付き合いも無かったが。
近所の噂では夜逃げをしたらしいと言う。
最後にシャッターを開けたその日の午後は、投売りに近い形で商品をさばいていたという。
何とか再出発を試みた中華屋の復活はやはり奇跡に近いと思い、他人事(ひとごと)ではないと改めて思った。
それぞれがいろんな事情を抱えて生きている。
それはまさに、シャッターを開けて見なければ分からない。
もぬけの殻なのか?
昨日と同じ顔なのか?
ガラス扉を開けると、自分の影が店内に細く長く落ちた。
肩越しに差し込んだ西陽は、スポットライトとなって、スツールの足と、傷だらけの床を切り取り、その光の帯の中を息苦しくなるほどの塵が、乱反射しながら舞っていた。
私は自分の影に案内されながら裏口へと向かい、ペンキのはげた重く頑丈な鉄扉を開け、店の中に光と風を思いっきり誘い込んだ。
しばらくは、風が大掃除をしてくれるだろう。
カウンターのひとつに腰を下ろし、タバコに火をつけた。煙は上へではなく横に流れている。店が身震いした気がした。風邪でもひきそうな秋の夕暮れだ。
<3>
「季節はずれのオープンカフェってわけ?」
振り向くと、コートの襟を立てた佐々木は寒そうに佇んでいる。
「いらっしゃい、と言いたいところだけど店は今、深呼吸しているところだから」
「分かった、分かった、肺炎になる前にもう閉めようよ」
丸いめがねの奥から目を細めながら、人一倍寒がりの佐々木はコートのまま、スツールに腰を下ろした。
メインアンプの真空管がやっと温まった頃だ。
真空管の熱は思っているより高い。
アンプやプレーヤーの置かれた裏方で、レコード選びに戸惑っていると、汗が滴り落ちてくるほどだ。
だから時々それに慣れたマスターは、客との温度差に気づかず、夏に南極のようにクーラーをかけ、冬の北極にヒーターをつけ忘れる。
そんなマスターは、寒がりの佐々木にとって天敵なのだ。
「ホットウィスキー」
佐々木は注文だけして、小脇に挟んでいた週刊誌を広げた。
マスターはとりあえず、床だけを簡単に掃いて、お湯を沸かした。
そしてレイ・ブライアントの「モントルー ’77」に針を落とした。
間もなく、暖めたお絞りとウィスキーがカウンターに乗った。
「ありがとう」と言いながら佐々木は“週刊誌の開き?”をマスターの前に滑らせた。
そこには2ページに渡って『弁当200円時代』と大きな活字が躍っていた。
コンビニのおにぎりが200円近くする時代に、どうして弁当が200円で出来るのだろう、と誰でも疑問を抱くはずだが、これも現実だ。
考え込んでいるマスターに佐々木が言った。
「銀座のステーキ屋の弁当でさえ、350円だよ。さすがステーキではなくて、おかずはハンバーグだけど」
「それにしても200円だったら、家で作るより安い。一人暮らしが多い東京じゃあ、助かっている人が大勢いるんじゃあないですか?」と、マスター。
「その分、いや、それ以上に給料を減らされている」とすかさず佐々木。
「こうなると、うちみたいに、爪に火を灯しながらやっている店はどうなっちゃうの?」
「ここは大丈夫!爪の火が消えても、ろうそくが売るほどある」
目の前のカウンターに置かれたグラスキャンドルを見ながら佐々木が笑った。
「冗談はさておき、どうせ潰れるにしても『東京で最後のジャズバー、ついに閉店』なんて週刊誌に取り上げられるまでがんばろうよ」と佐々木は言いながら、「もう一杯売り上げに貢献するか?」と空いたグラスをマスターの前に滑らせた。
底の見えない景気は社会のあちこちでひずみを生んでいる。
それは犯罪と言う、安易な方法を選ぶ人間と、それとは逆に、今を正直に受け止め、リサイクル、リフォームと言うもったいない運動と、ある意味ものを価格ではなく価値で見直そうという人たちの動きも出てきている。
いずれにせよ、ものと心は二人三脚だ。
この時代においても音楽が心のケアにどれだけ有効かは知らないが、少なくともこの店に入ってきた顔と出て行く顔が、ジャズと言うフィルターを通して変わっている、わずか7、5坪の空間にそんな奇跡を起こしたいと願わずにはいられない夜だった。
<4>
佐々木は、ついにコートを脱いだ。
ウィスキーが身体を温め、ジャズの熱気が心を熱くさせた。佐々木が身体と心のコートを脱いだのは北風でも太陽でもなく、JAZZだ、とマスターは思った。